鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)

 

昨日の1月30日は七十二候・大寒末候の鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)でした。

この節気をもって冬の時候は終わり、立春以降は暦上は春となります。

 

ニワトリと卵のウンチク話をネット上で見つけたのでシェアしたいと思います。(昨日facebookページでシェアしたものと同じです^^

 

一月三十日より、七十二候・大寒末候の「鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)」。鶏が春の気配を感じて産卵のために鳥屋に入るようになる時期、という意味です。でも、ちょっと不思議じゃないですか? 鶏って一年中卵を産むのでは? 何しろ一年中卵は売られているし。今の鶏はほぼ毎日卵を産むように品種改良され、また毎日産むように管理されていますが、本当は鶏は冬にはほとんど卵を産まないものだったのです。

 

 

ウサギは鳥?殺生禁断と鶏飼育の歴史

鶏飼育の歴史はなんと5000年。人類の農耕生活とほとんど同時に飼育されるようになった長い飼育の歴史を持つ家畜です。
インドでキジの仲間であるセキショクヤケイ(Red Jungle Fowl)を飼いならし、現在の鶏の祖先がつくられたのがはじまり。それが東西の文明に伝播していきました。約2500年前のローマでは、卵を多く産む品種改良が行われた記録があります。日本にも弥生時代に豚とともに朝鮮半島などから伝わり、弥生時代の中期から後期(0~100年頃)の長崎県壱岐の辻遺跡や福岡県大川市の酒見貝塚などでは鶏の骨が出土しています。初めは明け方に規則正しく時の声を挙げる性質から時計代わりとしたり、闘鶏をさせたりしていました。古事記にも鶏の記述があり、天の岩戸に隠れた天照大神を「常世(とこよ)の長鳴鳥を集めて鳴かしめて」引き出そうとした、というくだりがあります。また、万葉集に
庭つ鳥(にわつとり) 鶏(かけ)の垂り尾の 乱れ尾の 長き心も 思ほえぬかも

という歌があるように、当時は「カケカケ」という鳴き声から「かけ」といったり、庭にいる鳥なので「にわつとり」と呼んでいて、このにわつとりがそのまま「にわとり」になったのでしょう。
鶏の伝来以来、日本人は日常的に卵や鶏肉を食べていましたが、 676年、天武天皇により「肉食禁止令の詔」をくだされ、牛、馬、犬、猿、鶏の五畜(「五畜」は「鶏、羊、牛、馬、豚」とも「牛、羊、鶏、豚、犬」とも)の肉食が禁止されてしまいました。
しかし、国内くまなく見て回るわけにも行きませんし、また禁止も4月から9月までの農耕期間に限られていたようで、実際には引き続き食べていたとも言われています。 といってもおおっぴらにはできませんから、鶏肉をキジ、カモ、ウサギだとごまかしていたとか。
ちなみにこのように兎は鳥類とともに食べられていたために、今も1羽2羽と数える慣習が残っている、といわれています。そして卵も、主に病気や具合が悪い時に薬として食べ、殻は土に埋めて隠していたようです。
しかし741年には聖武天皇が、794年には桓武天皇が、たびたび肉食禁止の令を発し、家畜食は肩身が狭くなっていったのも事実。平安期以降、日本での肉食はジビエ食(野生動物)、キジやカモ、ガンなどの水鳥、すずめやつぐみ、ヒヨドリなどの小鳥が中心となっていきました。
江戸時代の「焼き鳥」といえばスズメのこと。一方で、闘鶏で負けた軍鶏をつぶして食べるというようなこともされていて、武士階級では鶏を食べることも珍しくなかったようです。

明治の肉食解禁とともに、以前よりも鶏肉も盛んに食べられるようになりましたが、度重なる戦争や不況による物資不足もあり、庶民が今のように日常的に鶏肉や卵を食べるようになるのは、戦後以降のことになります。
 
 

物価の優等生・卵を支える効率経営と大量消費される鶏たち

現代のように鶏肉や卵が安価で手に入るようになるには、鶏の肉や卵の効率的でスピーディーな生産体制を確立することがなければ不可能でした。特に鶏卵は「物価の優等生」といわれて、戦後長く一定の低価格を維持してきました。
本来ヤケイ(野鶏)のメスは6~10個の卵がたまると巣で抱卵をはじめるという性質がありました(就巣性)。つまりその数に達する前に卵を取り上げてしまうと、卵の数がそろうまで何度も産み足していきます。この性質を補卵性といいます。鶏はこの補卵性を利用され徐々にたくさんの卵を産むように「改良」されていきました。
また、鶏は季節にかかわりなく繁殖する周年動物ですが、周囲が明るく10時間以上の日照があると産卵が促進されるため、日照が短く弱くなり、また定期換羽のある秋から冬にかけて卵を産まなくなる性質がありました。
そこで、鶏舎の照明を朝夕点灯して、雌鶏に秋の訪れを感じさせないようにする「光線管理」という飼育管理法で、一年中産卵するように方法が考え出されたのです。
こうして、今の卵用鶏の産卵数は、初年鶏(卵を産み始めてからの一年間)の最高産卵記録はなんと年間365個。1日1個が限界なので、1年間休まず産卵したことになります。平均でも年間280個から300個を一羽が一年間に産み落とします。しかし、それも一年半ほどがピークで徐々に減っていき、2~3年の間には出産量が減っていき、食用に回されてしまいます。
肉用鶏についても、成長を促進させて肉質を高める方向へ改良が進められており、現在のブロイラーはふ化後60日で2.6kgになり出荷されます。ちなみに「ブロイラー」という種がいるわけではなく、孵化後7~8週の短い期間で出荷するために改良された肉用若鶏の総称です。急速に成長するために、成長スピードに内臓や骨格形成がついていけず、重すぎる体を支えられずに立てなくなったり、心臓疾患や肺の圧迫による病気の鶏が一定数出てきてしまうのだそう。
仕方ないこととはいえ、こんなにも絞りつくされている鶏たちがかわいそうになってしまいます。せめて食べ残さないようにしたいですね。
 
 

国際的には奇習? 生卵を食べるようになったのはいつから?

ところで世界に卵料理は数あれど、生卵をそのまま食べるのは日本以外にはほとんどないといわれています。
卵かけご飯が大好きな人は大勢いて、TKGなんていう呼び名や、専門店や専用醤油なんていうのまで売り出されていますよね。
先述したとおり鶏食が日陰扱いだった日本で、いつから鶏卵を生で食べる習慣が出てきたのでしょうか。
生卵食を普及させた先駆者は、岸田吟香(きしだ ぎんこう)といわれています。東京日々新聞(現在の毎日新聞)の編集長で、日本で最初の新聞記者とも言われる人物です。
明治の初期、毎日のように生卵を食べ、また周囲にも盛んに勧めたのだそう。また、同時期、明治五年(1872)、明治天皇が牛肉を食べて国民の肉食を促し、急速に牛鍋屋(安愚楽鍋)が増えたのですが、その際、牛肉を生卵につけて食べる食べ方も普及し、生卵食に一役買ったのでしょう。昔から火を通していない魚卵を塩漬けやしょうゆ漬けにして食べていた日本人にはさほど抵抗がなかったのかもしれませんが、外国人には奇異な食習慣のように感じられるみたいですね。
 
 
この節気をもって冬の時候は終わり、立春以降は暦上は春となります。
「鶏始乳」でいつも筆者は、大島弓子の「ミルクパン・ミルククラウン」という漫画を思い出します。そこでは避妊された猫が、子猫の後姿を見ながら、失われた「雨の日に子供を包んで守る自分のケープ」を思い出すのです。
春のキリスト教の祭り・イースターで卵が使われるのも本来は、春になって鶏たちが再び卵を産み始めた喜びを伴ってのものだったのでしょう。
そういうことを思い出させてくれるのも、七十二候があってこそではないでしょうか。
 
 
 
tenki.jp(2016年1月30日)
http://www.tenki.jp/suppl/kous4/2016/01/30/9951.html
 
より転載しました。